現地調査企画(福島)の感想 【弁護士 岩本 拓也】

 2019年3月18日に、自由法曹団という弁護士の団体の現地調査企画にて、バスにて、楢葉町→富岡町→大熊町→双葉町→浪江町と巡った。道路沿いには、バリケードが立ち並ぶ様子、除染土の中間貯蔵施設、除染土を運搬するトラック、また遠目に福島第一原発の排気筒等を見ることができた。福島第一原発が近づくにつれて、放射線測定器が上がっていくことに放射線の存在をリアルに感じるとともに、放射線の怖さを感じた。沿道には、帰還困難区域もあり、住宅や車が8年前のままになっているのを見て、ふるさと喪失の一端を垣間見た気がした。

 

 富岡町にある中学校を訪れ、外の窓から体育館の内部を除いたところ、卒業式のセットが組まれたままとなっているとともに、人が過ごしたと思われる跡があった。これは、卒業式を前日に控えた3月11日に震災が起こったため、住民が避難所として利用し、そのままの状態になっているとのことであった。私は、震災から8年間が経っても時間が止まったままの光景を見て、震災が人々の平穏な生活を変えてしまったことを改めて実感した。

 

 また、実際に津波の被害を受けた小学校を訪れた。この小学校では、震災の際には、近くの2km程離れている山に避難をすることができたとのことであった。小学校の体育館の2階の窓には、くっきりと砂の跡が残っていることが確認でき、その高さは10mを超えるものであった。これは、震災当時にその高さまで津波が来たことを示すものであった。私は、生の光景から津波の高さを肌で感じることができ、自然災害のおそろしさを実感した。

 

 加えて、中間貯蔵施設での除染土の保管は30年であり、その後の処分場は決まっていないことを聞いた。これを聞いて、一見するとオリンピックに向けて復興がPRされているが、根本的な問題は解決されないままだということを感じた。

 

 今回の訪問を通じて、原発事故の爪痕が深く残っていることを強く実感した。訪問の際には、東京電力廃炉資料館も訪れた。その中では、津波による事故のリスクについて、十分な対策が取れなかったことについて反省の弁が述べられている場所があった。しかしながら、現状では、被害者に対する十分な補償は行われていない。被害者に対して、十分な賠償がなされなければならないと感じるとともに、エネルギー政策の転換がなされ、原発事故による被害が二度と起こらないようにしなければならないという思いを強くした訪問であった。