「相続法改正」パート5 【弁護士 大江 京子】

遺産分割前の預金の払い戻し(改正法909条の2)

 

1 改正の内容(909条の2)

相続された預貯金債権について、生活費や葬儀費用の支払い、相続債務の弁済などの資金需要に対応できるよう、遺産分割前にも、払い戻しが受けられるようになりました。

改正909条の2は、施行日(2019年7月1日)前に開始した相続であっても、施行日以降に払い戻しをする場合には、適用されます。

 

2 現行制度と改正理由

(1)平成28年12月19日最高裁大法廷判決前

預貯金債権は、可分債権であり相続開始と同時に当然に各相続人が相続分に応じて分割取得し、各相続人において単独行使することができるものであり、遺産分割の対象にはならないとされていました(最高裁判決昭和28年4月8日、同平成16年4月20日)。但し、家裁の実務では、相続人全員の合意があれば預貯金債権も遺産分割の対象にできるとして運用されていました。

(2)平成28年12月19日最高裁大法廷判決による判例変更

上記最高裁は、それまでの判例を変更し、預貯金債権は,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく,遺産分割の対象となるものと解するのが相当であるとしました。

(3)改正理由

この判例変更により、預貯金債権については、遺産分割前に、各相続人は単独で行使(払い戻し)をすることができないことが判例上も確定しました。しかし、葬儀費用や生活費、相続債務の弁済などにあてるため、遺産分割が終了する前であっても、被相続人の預貯金の払い戻しを認める需要があることを考慮し、改正法では、例外的に、各相続人が単独で、預貯金債権の払い戻しをすることを認めました。

 

3 相続人が、単独で払い戻しのできる金額の上限

 改正法により、相続人が単独で払い戻しのできる預貯金の上限は、金融機関ごとに判断して、預貯金総額の3分の1に法定相続分を乗じた金額で、かつ、150万円を限度とします。

 例えば、A銀行に被相続人の預金が1200万円ある場合で、相続人が妻とこども2人(長男と次男)がいる場合は、長男が単独で払い戻しを受けることのできる金額は、以下の通り100万円になります。  

 1200万×1/3×1/4=100万円 < 150万

 A銀行以外の金融機関にも預金がある場合は、同様の計算により、上限額まで単独で払い戻しができます。

 

4 相続人が単独で払い戻しを受けたときの効果と実務上の問題点

 (1)一部分割とみなす

 遺産分割前に共同相続人が単独で預貯金の払い戻しを受けたときの効果について、改正法909条の2は、「当該共同相続人が遺産の一部の分割によりこれを取得したものとみなす」と規定しました。「一部の分割によりこれを取得したものとみなす」の意味ですが、共同相続人が払い戻しを受けた金額(例えば前述の例では100万円)は、確定的にその共同相続人が取得し、その金額は、後の遺産分割の対象には含まれないということです(一部分割については後述)。

 

 (2)特別受益と同じで不公平

 このように、単独で払い戻しを受けた預金は、後の遺産分割の対象には含まれない(遺産ではなくなる)とされましたが、一切考慮されないとすると、預金の払い戻しは、特別受益と同様一人の相続人が遺産の先渡しを受けた場合と実質的には同じですので、相続人間の公平を害することになります。

    先の例で、仮に、遺産が、A銀行の1200万円の預金だけだったとすると、長男が払い戻しを受けた100万円は、確定的に長男が取得し、遺産から外れます。

    残りの1100万円を、妻と長男次男で、法定相続分どおりに相続するとなると、

    妻が、1100万円×1/2=550万円

    長男と次男は、それぞれ1100万円×1/2×1/2=275万円

    長男は先に100万円を取得しているので、結局375万円を取得することになります。相続人全員が納得していれば別ですが、このままだと長男が取りすぎで不公平ということになります。

 

 (3)預金の払い戻しを受けて、相続債務の弁済にあてた場合

 では、先の例で、遺産はA銀行の預金1200万円だけで、相続債務が100万円あったとしましょう。長男が遺産分割前に、預金の払い戻しを受けて、その100万円のすべてを被相続人の債務の弁済にあてた場合を考えます。

    相続債務(被相続人が生前に負っていた債務)は、相続によって、当然に各相続人に法定相続分に応じて分割承継されるというのが判例の立場です(最高裁昭和34年6月19日判決)。

    妻が50万円、長男と次男は、それぞれ、25万円ずつ債務を承継することになります。

 上記の判例実務の立場からすると、仮に、相続人の一人が他の相続人の分も含めて相続債務を弁済したとしても、求償権の問題が発生するだけで、遺産分割調停や審判では考慮されないのが原則です。(相続人全員が同意していれば、相続債務についても遺産分割調停の対象とすることができます。)

 妻や次男が、相続債務について遺産分割協議の対象とすることに同意せず、求償(清算)にも応じないときは、長男は、別途、民事訴訟を起こさなければならず、迂遠であり、長男には気の毒な気がします。

 

 (4)預金の払い戻しを受けて、葬儀費用にあてた場合

 先の例で、長男が払い戻しを受けた100万円を全額葬儀費用に充てた場合はどうでしょうか。実際には、遺産分割前に払い戻しを受ける理由として、葬儀費用に充てたいという理由も多いと思います。

 しかし、葬儀費用については、相続債務にも当たらず、異論もありますが、喪主が負担すべき費用という説が実務上は有力なようです。いずれにしても、相続人の一人が預金の払い戻しを受けて葬儀費用にあてたとしても、相続人全員が同意しなければ、葬儀費用や香典について遺産分割協議の対象とすることはできません。 

 

 (5)特別受益を受けている相続人は預金の払い戻しを受けた場合

 では、長男が被相続人の父より、生前に生活費として300万円の贈与を受けていた場合(特別受益がある場合)は、どうでしょうか。

 この場合は、遺産の1200万円に生前贈与分の300万円を加えて相続財産とし(持ち戻し)て、各自の相続分を出し、その金額から特別受益の分を控除して、長男の具体的な相続分を出します。

 1200万円+300万円×1/4-300万円=75万円

 これが長男の具体的な相続分となります。

 そうすると、長男が遺産分割前にA銀行から100万円の払い戻しを受けて取得できるとなると、具体的な相続分を超えることとなり、この場合も、清算が必要となります。しかし、その清算は、原則として遺産分割調停や審判の対象外となり、(2)の例とは逆に、妻や次男が、長男に対して民事訴訟を提起しなくてならないことになります。

5 解決策

 遺産分割前の預金の払い戻しが単独で認められたことにより、上記のような問題が起きないようにするためにはどうしたらいいでしょうか。

 

 (1)最善の策は、いうまでもなく、相続人全員の同意のもとに払い戻しをするということになります。事前に同意を得られなくても、後に全員の納得のもとに遺産分割協議の中で公平に解決できれば何の問題もありません。むしろ、預金の事前払い戻しについては、遺産分割協議や遺産分割調停・審判においても、本来は、その使途をも含めて斟酌して、残余の遺産の分割が公平に行われることが必要であると考えます。

   改正法907条1項2項は、一部分割が認められることを明文で規定するとともに、但し、他の共同相続人の利益を害するときは、この限りでないとしています。遺産分割前の預金の払い戻しは、「遺産の一部の分割によりこれを取得したものでみなす」とされており、他の共同相続人の利益を害することが許されない(望ましくない)ことについては、同様であると言えます。

 

 (2)ただ、相続人全員の話し合いでの解決が期待できないような場合は、各人がそれぞれ上限まで単独で預金の払い戻しを受けるという防衛策を講じるしかないかもしれません。

 

 (3)また、一人の相続人が多額の生前贈与を受けるなどして具体的相続分が明らかにないような場合には、他の相続人は、処分禁止の仮処分決定(新家事事件手続き法200条2項)を受けて、その者が預金の払い戻しをすることを禁止する方策が考えられます。

 

 (4)さらに、遺産分割前に預金の払い戻しを受けて、相続債務の弁済や相続財産の管理費用に充てたり、葬儀費用に充てる場合に、これらの事情を確実に後の遺産分割協議や審判に反映させたいと考える時は、仮分割仮処分制度(新家事事件手続き法220条3項)を利用することが考えられます。この制度を利用して預金の払い戻しを受けた場合は、当該預貯金は、未だ未分割のものとして、遺産分割調停・審判の対象となりますので、当該預貯金の使途を斟酌して、分割方法を決めることが可能です。家事事件手続き法が改正されて、預金債権の仮分割処分制度の要件が緩和され、従来よりは利用しやすくなったと説明されています。ただ、預金の払い戻しを受けるために家庭裁判所に仮処分の申し立てをしなくてはなりませんので、手間がかかることは間違いありません。

 

(続く)