繰り返される「#保育園落ちた」 【弁護士 田村 文佳】

 今年もまた残念ながら、「#保育園落ちた」「#保育園入りたい」のワードがSNS上で吹き荒れる時期がやってきた。もはや夫婦で正社員フルタイム勤務でも保育園に入れないことは全く珍しくなく、都市部に限らず「母子家庭なのに入れなかった」「妊娠中に満員電車を避けるために時短勤務にしていたら、減点になり入れなかった」「保育士だが、落ちたから復職できない」「きょうだい加点があるのに落ちた」「子供いないけど、#保育園落ちた、を見ているととても産む気になれない」といった模様である。

 さらに今年は、10月から幼児教育・保育の無償化が実施される予定であることを受けて、「#無償化より全入」のワードもあわせて沸騰中である。かくいう私も保育園の結果通知を悶悶としながら待つことになった。

 こういった声をSNS上で見るにつけ非常に気になる点がある。それは、投稿者が母親あるいは子どもがいない女性と思われる人ばかりであることだ。父親の立場からのコメントはほとんど見かけず、子どもがいない男性に至っては、私の知る限りは皆無である。問題の根深さがここに表れているように思う。

 

 自分の子どもが保育園に入れないことは、母親にとって切実な問題だが父親にとっては違うのか。保育園に入れないという叫びを聞いて、女性は将来自分は子どもを持てないのではと想像しても、男性はそんな想像をしないのか。

  おそらくそういうことなのだろう。

 

  なぜなら、保育園に入れなくて仕事を辞めることになるのは、多くの場合男性ではなく女性だからである。そしてこの保育園不足の問題が、これほどまでに無残に放置され、全入には程遠い現状の原因の一端が、ここにあるように思う。

 

  それは、一言で言えば、保育園に入れなくても母親が仕事を辞めればすむ問題だと、社会(強いて言うなら男社会)に捉えられているからではないか。

 ここには、女性が仕事を辞めることを軽んじている空気が間違いなく存在する。

 

 しかし、もしこれを読んでいるあなたが男性だったとしたら、ちょっと想像してみてほしい。自分が今の仕事を辞めなければならなくなり、その理由が「保育園に入れなかったから」という場面を。仕事に就くまでの過程は、人それぞれである。たまたま今の会社に就職することになった人もいれば、ずっと希望していた職種、会社に入るために長く努力を重ねてきた人もいるだろう。そして現在の職場に満足している人もいれば、満足していない人ももちろんいるだろう。仕事をしている理由も、生活のため、自己実現のためなど人それぞれだと思う。

 

 しかし、どのような現状の人でも、自分の意思とは無関係に、ある日突然、「子どもが保育園に入れなかったから」仕事を辞めなければならなくなり、これまで自分なりに積み重ねてきた経験やキャリアが突然遮断される現実は、あまりにも不条理で理不尽である。そのような理不尽さを、今は圧倒的に女性に強いているのである。

 どうか、育児の問題を、女性だけの問題にしないでほしい、父親も保育園に入れない問題を我が事としてとらえてほしいと切に思う。

 

 現在、国が行う子育て支援と称する政策は、幼児教育保育の無償化や子連れ出勤推奨など、育児とは程遠いところにいる人間が考えたとしか思えない、見当違いのものばかりである。

 幼児教育保育無償化に年間7764億円をあてるのなら(しかも国が全額賄うのは来年10月から半年間だけである)、その税金で保育士の給料を上げて欲しい、せめて認可に入れなかった人たちの補助金をもっと手厚くしてほしい、現状のまま無償化したら認可に入れた人と入れなかった人の格差が広がるばかりである、こんな素朴な声がまったく受け入れてもらえない。

 

 保育園不足で子供を産んだら仕事をやめなくてはならない状況が現実としてある中、この時期に78歳の老人男性国会議員が少子高齢化について「産まなかったほうが問題」と宣った。おそらく彼は、この時期、保育園の内定通知、不承諾通知が届くことさえ知らない。

 産めば仕事を追われ、産まなかったら責められるのか。

 もはやこの国自体が、ブラック企業のようである。